生きづLABO研究員制度 活動ブログ

NPO法人地域生活支援ネットワークサロンが運営しています

研究員の生きづら川柳・短歌紹介(13句)

研究員の活動では、短歌や川柳、短い詩の投稿を募集して内部で共有しています。

テーマは自由で募集しているのですが、今回は生きづらさに関連する句を紹介します。

切実さが伝わってきたり、ちょっとクスっとできるものもあったり、
自分の気持ちを表現する機会、それを共有して共感したり癒される機会となっていると感じています。

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やってみたい ごめんやっぱり やりたくない
気まぐれな私 どうか許して

 

「しりたい」が 「しにたい」に見えた 錯覚か…

 

「当たり前」 その一言が 辛すぎる

 

慣れぬ場で 喋れずへこむ 繰り返し
そういう種類の 生き物かもね

 

言の葉が ホモ・サピエンス 栄えさせ
派生した種の ダレトモ・シャベレン

 

何事も 私が我慢 すれば良し

 

人権が 自分ごときに あるはずない
(ってずっと思ってました)(権利は誰にでも、ある!!!!!!)

 

四面楚歌←家族と過ごす 私の図

 

綺麗事 信じきれぬが 捨てきれぬ 
壊れぬように 縋りついてる

 

生きようと すればするほど 難しい
指組む姿 祈りにも似て

 

いい子だね 今日も虚しく 沁みる声
1人寂しく 小部屋の中で

 

過干渉 やめてほしいな 本当に

 

正しいのは どう考えても 相手のほう 
私が間違い それでも苦しい 

研究員のお気に入りの本紹介(5冊)

研究員の活動では、それぞれのお気に入りの作品(本、漫画、曲、映画…)の紹介を内部で行っています。

★過去に紹介したもの

研究員のお気に入り曲紹介(6曲) - 生きづLABO研究員制度 活動ブログ

紹介する人の感性も垣間見えますし、
知らない作品を知れたり、自分が好きな作品を見つけてひっそり共感したり、
ささやかな交流や情報共有の場となっていると思います。

今回はその中から、お気に入りの本について紹介します。

もしものせかい 

作者:ヨシタケシンスケ
あらゆる喪失感を優しく抱き締めてくれる絵本です。自分にとって失われた物や人、機会、様々な物が集まる心の中の「もしものせかい」、
その「もしものせかい」と、生きていかなければならない現実「いつものせかい」のその両方を大切にしながらゆっくり前に進んで行こうとする優しいお話です。

本好きの下剋上  

作者:香月美夜
いわゆる「異世界転生」するお話です。
この作品は世界観が作り込まれていて、キャラクターもストーリーも面白いです。
本を読んでいると(読んだ後も)その世界に入り込めるのでその感覚が好きです。
あーだこーだ想像しながら本を読み進めていくことが醍醐味だとかんじます。
ただ、ハマったら止まらなくなるのでそこだけは注意です。。
色々な媒体で楽しめるのでよかったら読んでみてほしいです。

なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学

作者:磯野真穂
(※現代の精神医療への批判、および摂食障害に関する内容を含みます。)
私が文化人類学に出会うきっかけになった本です。治療されるべき「患者」ではなく「独自の文化を持つ人」として当事者を観察し、そこに意味を見出そうとする視点が貫かれていて、なんだか「あたたかさ」を感じました。
個人的には、著者の「マインドフルな食事」に対するツッコミ(?)が鋭くて面白かったです。

あの子は優しい。気づいたあなたもきっと優しい。

作者:もくもくちゃん
かわいい動物のキャラと優しい世界観が魅力のイラストレーターさんのエッセイ本です。
うさぎやアザラシなど可愛いキャラがたくさん出てくるのですが、私は「優しい怪獣」のキャラに親近感がわきました。

プロジェクト・ヘイル・メアリー

作者:アンディ・ウィアー (著) 小野田和子 (訳)
目が覚めると、主人公はひとり宇宙船の中にいました。主人公は記憶喪失でした。読者は主人公といっしょに、何があってここにいるのか、というのを考えていきます。そこからはもう、怒涛の展開です。私は主人公といっしょに、ドキドキしてワクワクして楽しんでいました。主人公と同じ目線で楽しめるのは良いところだと思います。文章も比較的読みやすいです。SF作品なのですが、普段SFを読まない人でも楽しめると思います。そして、ネタバレなしで読むほうが絶対良いと思うので、ネタバレに出会わないよう読む人は気をつけてほしいです。

オールジェンダートイレについて、私がかんじていること

オールジェンダートイレについて、少し話したい。
みなさんは「オールジェンダートイレ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。ジェンダーレストイレ、ユニセックストイレ、男女共用トイレなど、似た言葉で呼ばれることも多い。 コンビニや個人経営の店などでは、実用的な理由から男女共用になっているものもよく見かける。一方で、近年耳にする「オールジェンダートイレ」という言葉は、多様な性のあり方を意識して設けられている場合が多い印象がある。今回は、そのような文脈の違いを意識しつつ、話を進めたい。
今年の大阪万博では、オールジェンダートイレが多く設置されていた。そこで初めてその存在を知った人もいるかもしれない。私自身も、万博で初めてオールジェンダートイレを利用した一人だ。 そのとき私は、「自分の存在を認められたような気がする」と感じ、すごく嬉しかった。
私は、身体の性別は女性だが、自分のことを女性とも男性とも思っていない。そして、女性トイレを使うことに強い違和感がある。緊急時を除いて利用を避け、今は多目的トイレを使うことが多い。 ただ、混雑した商業施設などでは、「本当にここしか使えない人に申し訳ない」と感じることがある。私にとっては必要な場所だけれど、誰かの場所を奪っているような気がして、この気持ちはずっと引っかかっている。
だからこそ、私はオールジェンダートイレがもっと増えたらいいと思っている。 もちろん、さまざまな意見や不安の声があることも分かる。私自身、今ある女性トイレや男性トイレをなくしてほしいとは決して思っていない。 大切なのは、「選べること」だと思っている。 男女別トイレはこれまで通りありつつ、多目的トイレと同じくらいの数のオールジェンダートイレがあったら嬉しい、というのが今の私の率直な気持ちだ。
オールジェンダートイレには賛否があるが、その感じ方は立場や経験によって大きく異なると思う。実際に使う必要に迫られたとき、戸惑いや不安、安全面での懸念を覚える人がいるのも自然なことだ。 だからこそ、オールジェンダートイレの割合や設置の仕方については、誰かの安心を犠牲にしないよう慎重に考え続ける必要があるのではないかと感じている。
オールジェンダートイレは、私のように性別に違和感を持っている人だけでなく、介助を受ける人や、男女別トイレが混雑しているときの選択肢としてなど、さまざまな人にとって意味を持つ可能性がある。
すべての人が同じように安心できる形は、きっと簡単には見つからない。それでも、オールジェンダートイレを含め、トイレ環境について考え、選択肢を増やしていくことが、誰かの生きづらさを少し軽くすることにつながればいいなと思っている。

※思っていることをより適切に表すために、ChatGPTと、Gemini というAIを使用しています

いじめを受けたことのある私が、演技で「いじめをする側の役」をやってみて思ったこと

私は、学生時代(特に中学生の時)にいじめを受けていました。いじめの内容は、校内を歩いていると複数人の男子生徒に囲まれて性格、容姿、行動などについてからかわれる、同じクラスの女子生徒複数人から無視される、陰口を聞こえるように言われる、などでした。暴力などは一切ありませんでしたが、あまり話したこともないような相手に「キモい」とか、ここに書けないような差別用語も浴びせられ続けて、ずっとモヤモヤしていたのを覚えています。今思い返すと、必ず複数人で何かを言いに来たり、示し合わせて無視をされるのが嫌だったかも、と思いました。


さて、前述したとおり学生時代にいじめを受けていた私ですが、基本的にずっと自分の生き方について迷走し、試行錯誤している状態で過ごしています。その試行錯誤の1つとして、数年間、演技の勉強をしていた時期がありました。
演技、お芝居をやってみたいな、と思ったきっかけはテーマパークで上演されているショーや、舞台を見に行くこと、アニメを見ることなどが子どもの頃から好きだったからと、親への反抗心だった気がします。(このあたりは長くなりそうなので、「何となくやってみたくて始めたんだな」くらいにとらえてもらえるとありがたいです)


私が演技の勉強のために通っていた場所は、週1回のレッスンがあり、20人前後のクラス制でした。「演技」ということで、台本を渡され、配役をし、キャラクターを演じ、みんなで物語を表現するというような内容のレッスンもありました。
いろんな性格のキャラクターをやらせてもらいましたが、その中でも今回話したいのは

「いじめをする側」

を演じたことについてです。


しかも、状況が実際に自分が受けたいじめに似ていて、「場所は学校、生徒複数人で1人のターゲットに悪口を言う、からかう」というものでした。私は複数人いるいじめをする人の中の1人を演じました。
「いじめをする側」の役をやることになったのは、仕方なく、などではなく私の意思で選んだ気がします。
私が「いじめをする側」の人たちに抱いている印象は、「不満を人にぶつけて楽しそうにしている」という感じです。私に何かを言ってきた人たちは、みんな同じように笑いながら、遊び半分で、という様子だったのを覚えています。私自身は、不満などを表に出す、人に伝える、というのが子どもの時からすごく苦手でした。 
そんな自分だからこそ、「演技として」なら心の中に溜めている鬱憤を表に出すことが許されるのかな?好き勝手に言いたいことを言えて、気分がすっきりするのかな…?と「期待」や「憧れ」に似た気持ちもあったからこそ、この役をやってみようと思ったのかもしれません。
役作りとして、できるだけ頭をからっぽにして深く考えないようにすることも心がけました。「こんな言葉、本当に人に向かって言っていいの?」などと深く考えてしまうと、セリフが言えなくなるなぁ…と感じたからです。
そして、実際に舞台上でいじめのターゲットになっているキャラや、一緒にいじめをやるキャラとのかけ合いなども経験したのですが、結果的には気持ちがすっきりすることも、鬱憤が晴れることもなくただただ「本質」から目を背け続けながら生きているなぁ、という感覚が残りました。
自分(演じているキャラクター)の心がどんどん黒く汚れていくような感覚を味わえたのは、貴重な経験だったな、と思っています。
私をいじめていた人たちも同じような気持ちだったとしたら、いじめって誰の心も救われないし、受けた側は心に傷が残るし、何だか悲しいコミュニケーションなのかもしれませんね…。(一方的すぎてコミュニケーションですらないのかな…?)

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これは今の自分が文章を書いていて気付いたことなのですが、キャラクターとして動いたり、セリフを言っている間は「自分の言葉で相手が傷ついたかもしれない」という気持ちが自分の心から消えていました。
普段の私は、「人がどう思うか」を過剰に気にしすぎてしまう傾向があるので、演技の中で「気にしすぎない世界」を体験できたようで不思議な気持ちになっています。とはいえ、相手の反応をまったく気にせずに一方的に言葉をぶつけるのは、結構危険なことじゃない?お願いだからもう少し考えて欲しいかも…と演じたキャラクターに対して思いました。
これはやっぱり、実際にいじめを受けていた経験があるからこその願いなのだろうな、と思います。

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最後に、自分がいじめを受けたことと、いじめをする側を演じてみた経験を元に、「いじめ」って結局どうすればなくなるの?みたいなまとめ方をしようと……

思っていました……(無理でした)

いじめは、私個人であれこれ考えて結論を出せるほど単純な問題ではないのだろうな、と感じてしまい、どうまとめればいいのやら…と頭を抱えています。
「人間関係の問題」とするには傷つけられた側の負担が重すぎる気がするし、かといって「いじめはダメ、悪いこと」と言っても何だか雑な気がしてしまいます…。
とりあえず、演じたキャラクターにもあったような「攻撃性」は私の中にも存在している気持ちだと思うので、むやみに人にぶつけないように自分の気持ちと向き合っていけたらいいな、せめてそれだけは気をつけられたらいいな、と思いました。

ASD特性のある人に鉄道好きが多いのはなぜか

おはこんにちばんは🐈🚃

(←おはようorこんにちはorこんばんは、です。)

私は以前、発達障害のひとつであるASD(自閉スペクトラム)の診断を受けました。

そして、趣味は鉄道に関することです。(もしかしたら研究員の方も自己紹介やチャットから薄々「なんか鉄道オタクらしき人おるな…」なんて感じていた方もいるかもしれません。)

診断後、ASD特性について調べていくなかで「ASD特性×(かける)鉄道好き」という人がどうやら私以外にも多くいるらしい、ということを知りました。

なんでやろか?と思い、ちょっと研究という名を借りて思考をしてみました。

考えられる理由は3つあります。

①定時性(定時運行)

鉄道(ここでは列車と呼ぶ)に乗る時のことを想像してみてください。私たちは「おおよそ決まった時間に来る」列車に乗り、「おおよそ決まった時間に着く」目的地の駅で列車を降ります。列車はそれぞれに駅の出発時間と到着時間が決まっており、利用者は時間に合わせて移動するということが可能です。(余談ですが、この定時運行という事象は世界では珍しく、日本など限られた国や地域でしか見られません。外国人が日本に来て驚くことのひとつにもしばしば挙げられます。)

この鉄道の定時性は、ASD特性と非常に相性が良いとわたしは考えています。理由として、ASD特性の特徴のひとつに、同じ行動が好きで、その行動を繰り返すことにより安心しやすい(変化が苦手、不安になりやすい、とも言える)ことが考えられます。

 

②規則性

列車が走ると聞こえてくる「トトントトン…トトントトン…」という規則的な音、路線図に(実際の距離によらず)一定間隔に並ぶ駅名、線路を挟むように一定間隔に立ち並ぶ架線柱(かせんちゅう)、駅に順番に割り振られているアルファベットや数字のナンバリング…鉄道やその周りには、これらのような「規則性」が溢れています。

この規則性もまた、ASD特性と非常に相性が良いとわたしは考えています。理由として、ASD特性の特徴のひとつに、秩序、ルールが好きなことが考えられます。

 

③学びたい欲が満たされる

鉄道って、多岐に渡る学びを秘めていると思います。駅名や路線網からは地理や歴史を学ぶことができます。駅員さんや利用する方々の姿や声からは生活、文化やコミュニケーションが、運賃からは経済が、鉄道そのものの作りや動く仕組みからは科学技術が、車窓の景色からは生き物たちや自然が…。鉄道が含んでいるそれぞれの要素は、実はとっても幅広い分野にまたがっていることに気づきます。

ASD特性の特徴のひとつに、「特定分野の知識に非常に詳しい、精通している」点があります。鉄道は、この点においても相性が良さそうです。

ちなみに、私の場合。学生時代の通学中はもちろん、大人になった今も、駅や車内、時にはスマホで検索して、路線図をジーッと眺めて過ごすことがしばしば。その間、知識、経験、想像力などを駆使するので「楽しい!!」と夢中になり、そして「やっぱりこの充実感は何ものにも変え難いなぁ」という嬉しい気持ちになります。


 では、上記よりまとめてみます。

テーマは、「ASD特性のある人に鉄道好きが多いのはなぜか。」
→不安や緊張を感じやすい(程度に個人差、グラデーションあり)という特徴があるASD特性のある人にとって、①定時性、②規則性、③学びたい欲満たされる鉄道が、「安心がうまれやすい存在」なのかもしれない!

 

今回の研究は一旦ここまで。お読みいただきありがとうございました。

もしよろしければ、ご感想いただけるとうれしいです。🚃📝