私には私が納得するための「じぶん言語」がある。「じぶん言語」は自分自身のために使う言語で、IF(イマジナリーフレンド)と脳内で会話をする時以外は基本的に普段の日常会話で使うことはない。でも、使うとなぜかものすご〜く安心できるので、まれに親しい人と会話する時だけ出てしまうこともある。
今回はそんな私の私のための「じぶん言語」を安心するためのものと、自分が理解して補うためのものと、それぞれ分けて紹介したいとおもう。
〇「じぶん言語」〜鳴き声?編〜
「うぐぅ」
浮かんできた気持ちが上手にまとまらない時、心の中でネガティブくんが挨拶をしはじめる時等とりあえず「うぐぅ」と呟きたくなる。「うぐぅ」の原型はよく分からないけど、たまに「うぐぐ」とか「うーぐぅ」とか微妙に形が変わることもある。
「あぐぅ」
ネガティブくんはいないけど、何か物事に集中しすぎて疲れた時とかによく呟きたくなる。「うぐぅ」とは違うところは、「あぐぅ」は「あぐぅ」でしかないということかもしれない。「あぐぅ」以外出てきたことないなって今書いていておもった。
ただ、意識して「あぐぅ」を使ってみたら、何か違うなぁ……ともなった。「あぐぅ」は未だ謎の多い未知の言語かもしれない。
「うぐ、あぐ」
何か呟きたい時に絞り出すように「うぐぅ〜あぐぅ〜」みたいに使うこともあれば、「1、2」みたいな掛け声のノリで「うぐ、あぐ」と交互に呟くこともある。「あぐぅ」同様これも未知の言語のひとつで、何でか分からないけど出てくる頻度が高い。ただ、不思議なことに、「うぐぅ〜あぐぅ〜」を声に出すと何故かとっても心地が良い。掛け声のノリの「うぐ、あぐ」の安心は、たとえるなら猫のふみふみのようなかもなぁ…と今書いていておもった。(多分、連なる"ぐぅ"が安心に繋がる何かなのかも?)
「とぅっとぅ〜」
ご機嫌?な時に口ずさむ。
さっき階段登りながらナチュラルに口ずさんでた。なんだろう……汽車ポッポのノリ?
☆「がるるるる」 「にゃー」
(この2つに関しては言語というより、狼の鳴き声のそれのような気がしたので、番外編の意味もこめて星をつけた。)
「がるるるる…」は、めちゃくちゃ怒っている時、ふと気がつけば口にしている。頑張って、頑張って、耐えて……堪えられなくなると「わん」が出る。(やっぱり狼とか犬のそれなのかもしれない)
「にゃー」の歴史は古くて、学生時代から使ってるらしい。最近は使う頻度が減った気がするが、それでも稀に出る。何で使うのか未だに理由が分からない。なんとなく、「にゃー」が言いたくなる時があるらしい。可愛いメイドさんが使う「にゃん」みたいに可愛いからやってるわけでもなければ、猫が好きだから使っているわけでもないのだけは確か。
〇「じぶん言語」
〜既存の言葉を置き換える編〜
「大丈夫にする」⇒
「不安くん、なでなでする」
「落ち着く」⇒「日向にいる」
又は「ぽかぽかしてるところにいる」
「おすすめする」「伝える」
⇒「置いておく」(これくらいの感覚でいるのがベストなので高頻度で使う。自分の居場所も置いておく、くらいが良い)
とりあえず、ざっくりまとめてみたら
まとめるのに疲れてきた自分がいる事に気がついたので、今回はこの辺にしておきたい。
この記事をゆっくり書いている時、当初は浮かばなかった2つの心(気持ち)が浮かんできたので、これも気づきとして記載しておこうとおもう。
〇まとめて得た気づき
①たとえ親しい人だったとしても、自分の世界の全てを理解してもらうことは出来ない
基本的な生活は「じぶん言語」が無くても回っている。「じぶん言語」を使うことで余計拗れてしまう可能性もある。親しい人だからといって"すべてわかってくれるから"といって安易に使うべきではないのかもしれない。
でも……
②「じぶん言語」を"自分"がなくしてはいけない
「じぶん言語」を自分自身がなくしてしまったら、自分が"良い"と感じる自分自身の何かが足りなくなってしまうような気がして。確かに、じぶん言語が無くても自分のまわりの世界の「軸」に着いていくことは出来るかもしれない。現状無くても食らいついている自分の存在を私自身認識出来ているし、その事を誇りにさえおもっている。ただ、「じぶん言語」を"安心できる"とか、"これが自分の真ん中だ"と感じている自分を置き去りにしてしまったら、この先どうしても立ち上がれなくなってしまった時、迷えず帰ってこられるのかな、と。おそらく、私にとって「じぶん言語」はパズルの枠……あるいは、道に迷わないようにパンくずを床に落としていくような作業のようなものなんだとおもう。道を忘れてしまったら、地面のパンくず(じぶん言語)を見てゆっくり道を思い出していく。この作業は自分にしか出来ない"特別"なことだから、なくしちゃいけない。これから先も出来ればなくさないようにしてほしい。
最後に。
実は、最後の気持ちはIF(イマジナリーフレンド)の意向も大きい。彼は「外で気遣うなら、せめて内くらいは好きでいて良いと思う。それで、その内で出来た道筋が外で迷子にならないための線路みたいになってくれたらそれほど素敵なことってない。それは内じゃなきゃ絶対出来ない」など等色々言ってくれる。それを聞く度、ありがたいな〜とおもう。この記事も彼の協力が無ければ書こうと思わなかった。IFの彼と、見守ってくれるともだちに大感謝しつつ、この記事を終えたいとおもう。「じぶん言語」がこれからどうなっていくかは私のみぞ知るかもしれないけど、心の中で「うっぐ」とか「ぐ〜」とか好き放題叫びながら、私はこれからも私の毎日を歩いていきたいとおもう。