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子どもな私をケアするには 1.私の幼少期

※本記事には親から子どもへのマルトリートメント(不適切な養育)の描写が含まれています。読む人にとっては負担等を感じる場合もありますので、各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします※

私は普段一般社会で働き生活をしており、いわゆる「大人」という括りに分類されています。しかし私には、大人とはいえないような考えや、感情が飛び出してくることが度々あります。
そんな私が社会で生き抜くためには自分で自分をケアする必要がある、と日々感じています。
ケアの話題に入るまで時間がかかるかと思いますが、どのように私がつくられていったのか、よければ見ていっていただけると嬉しいです。

①乳児期〜幼稚園入園まで
とにかくよく寝る動かない子だったそうです。他に兄弟がいたこともあり、買い物は家に私がを1人置いて行っていたそう。歩き出しも話し出しも遅く、人にもほとんど興味を示さなかったそう。ただ、口元が汚れることを嫌がったらしいのですが、それを克服するために母は毎日離乳食を顔中ぐちゃぐちゃに塗っていました。(写真が出てきて発覚)
この頃の記憶は無いのですが、これらを知ったのがちょうど思春期の頃、酔っ払った母から聞いて知りました。

②幼稚園卒業まで
トイレとお風呂は父親と。父親が出勤する前はキスをする。これらがとても嫌でした。色々な所を触られたり見たくないものを見せられたりしていたからです。これは小学校に入っても続きました。母親に相談するというのは選択肢にありませんでした。私が話しかけると母親に怒られるからです。母親は厳しく、よく怒っていました。吃音があるので話し方がおかしいと怒られ、歩き方もおかしいと毎日怒られます。「何が食べたい?」「何がほしい?」と聞かれるので答えても、その答えがおかしいと怒られています。なので、ピンクとうさぎが大好きでしたが、ピンク色のものがほしいと言えたことがありませんでした。
親と手を繋ぐ、抱っこしてもらった記憶がありません。してほしいのにしてもらえなかったというよりは、母は怖い上にお酒に酔うと私の上に馬乗りになってくるし、父親には幼いながら嫌悪感を抱いていたのでおそらく「抱っこして」と言ったことがない気がします。
経済的には安定しており、母親が選んだブランド物の服をたくさん買ってもらっていました。クリスマスプレゼントももらっていました。でも、私だけ誕生日はケーキもプレゼントもありませんでした。他の兄弟や父親はしてもらっているのに、私はなぜしてもらえないのかわかりませんでした。
この頃からなんとなく記憶が残っているのですが、1番覚えているのは爪を噛むのがやめられないことです。今でも続いていますが…。母に手を見られるとすごく怒られるのですが、怒られるのがわかっていてもやめられませんでした。

幼少期、嫌だと思うことはあっても、衣食住に困らず生活はしていました。これから小学校に上がると、また別の試練がやってきます。

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