生きづLABO研究員制度 活動ブログ

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子どもな私をケアするには 2.学校に通っていた私

第二回です(第一回はこちら)。今回は小学校入学以降の私について振り返りたいと思います。

③小学校に行ってみて
困ったことが続出でした。まずは自分で自分の管理ができない。宿題も、翌日の準備も、母親や先生がそばにいてあれやこれや言われたらできるんです。でも自分では全くできない。夏休みなど長期見放される期間は宿題はもちろんできないし、できなくてもどうしていいかわからずそのまま学校に行き何も言えずにとにかく怒られまくる。これが毎年の日常でした。なんとか自分で痛い目を見ながらできるようになってき始めたのは中学の後半からでした。
次に、前回少し触れましたが、私は歩き方が癖がある感じで(今思えば体幹がすごく弱かったのだと思います)運動の類は壊滅的でした。そこをきっかけに、小学校低学年から8〜9年間に渡りいじめを受けることになります。そんなに長い間、いじめられていたのにも関わらず、私は「やめて」が言えませんでした。怖かったから?いいえ、吃音があり言葉の頭で止まってしまうからです。でも自分を守らなきゃ、その一心で手が出てしまいます。するとその瞬間私が悪者になり、私が怒られる。でも抵抗もしなければやりたい放題されるので、ずっといじめられっぱなしの子供時代でした。

④戦場の学校から帰宅、家では?
これまで読んでくださっている方は想像がつくかもしれませんが、ずっと怒られていました。
今思えば自分を守っていたのだと思いますが、小学校入ったあたりから大量の嘘をつくようになっていました。「宿題した?→した」「〇〇知らない?→知らない」など、本当にしょうもない嘘です。でもこれ、つこうとおもってついてないんです。怒られたくなくて条件反射で返事してしまい、直後に振り返るとその情報が誤っていた、が1番イメージに近い気がします。
休みの日はというと、とにかく公園でした。私が運動神経が壊滅的なため、とにかく遊具の練習でした。年齢相応の遊びはできなかったので、幼稚園の子が使っているような遊具の所に連れていかれ、できるようになるまで帰らせてもらえない、私はずっと泣いている、母親怒っている、地獄絵図です。それをするなら宿題の面倒を土日に見て欲しかった、と今は思いますが、母親に意見するという選択肢がなかったので週末が憂鬱でした。

学校にも家にも居場所がなかった私。年齢が上がるごとに、だんだんおかしくなっていきます。

↓続き

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