生きづLABO研究員制度 活動ブログ

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「こうあるべき」 の押しつけは親の理想像の為? ⑴ (続く?)

「(私)は服とかお化粧に本当に興味無いんだね 女子高生ってそういうのに敏感になるお年頃なのに (私)ってなんか変だよね」 要約するとこんなことを高校1年の春に親に言われた。

恐らく私の親の理想像としては「オシャレが大好きで流行の服を着て青春してる楽しそうな娘」なのだろう。
私がその真逆のような性格と在り方だから否定したのだろう。

実際私は"着れればなんでもいい"というタイプであまりこだわりというか「絶対コレじゃなきゃダメ!!」というのがあまり無い。
流行りの丈が短い(肌が出るような服)服を「これ可愛いよ!着てみなよ!」と親に勧められた時も「お腹が冷えそう」と言った時は「あんたまだ若いのにおばさん臭わぁ~笑笑笑 こういうのが今の流行りで若者は着るの!」と速攻否定された。 
ちなみに膝上丈のスカートも似た様な理由で断って似た様な理由で否定された。
「足がスースーして落ち着かないし、距離歩くから動きにくいのは避けたい」的なことを言ったら「あんたまだ若いのにババ臭い」と返された気がする。

私は別に性別に違和感を感じている訳ではない。 ただ単に歩きにくいから、消化器が冷えるから嫌なのである。 
それを"ババ臭い"と否定して何になるのだろうか。 それで私が「わーそうなんだ!なら着ないと!」となるとでも思ったのだろうか。
私が興味を持ち出したら辺りで 「オシャレに目覚めちゃって~♡ 興味を持ってくれて嬉しいよぉ~」 と思春期真っ只中の時期にいじってきて茶化されてから、前より無頓着、どうでもいいと感じるようになったんでしょうが。
その前から"芋"だとかいじられてはいたけれど。 

もう開き直って"若いくせにババ臭い" "若い女なのに"という旨の発言にもある程度言い返せるようになった頃、その「こうあるべき」という旨の発言や遠回しに伝えているような発言についてこう思った。

「親が個人的にこうあってほしい」 「こうあるべきだ だってみんなそうだから」 という親としての理想像を押し付けるような形になっていることが多いかも?と。

私は実際に受けていない、見たり聞いたりした内容でも親としての理想像を子供に押し付けるようなことになっているのが多様性云々言われている令和なのによく見かけるなぁと感じた。
 
子供食堂のボランティアスタッフをしている私が実際に子供に親としてと価値観を押し付けるような形になっていると感じたことを書いていく。 理想像を押し付けられてるのは自分だけではない、親としての理想像を押し付けてられているのでは?と気付くきっかけになったことだった。

理想像を押し付けるのは何の為?
 「自分が子供の時はこうだった」 から? それとも自己満足? 
どんな理由であれ、その人の意思が最優先であって欲しいし、個人の価値観で人の価値観をうんぬんかんぬん文句言うのはどうなんだろうと感じた私なのでした。

自分がめんどくさい性格でこういう事を考える時点で私がひねくれているということは承知だけれど。

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