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つながりと距離感に関する一考察(その2)

前回
つながりと距離感に関する一考察(その1)

(2025年12月11日に投稿した記事を、同年12月15日に修正しています)

6.考察(特性と自己否定と距離とつながり)

ここからは、自分の感じてきた他者との距離と、自分の欲する他者とのつながりについて、内省的に記述しておく。

僕は他者との距離を縮めたいと望みながら、誰ともつながれないでいた。
他者に嫌われる自分に問題があると考え、長い間、自分を直そうとしてきた。
それはただ苦しく、自分を否定し、呪う作業にしかならなかった。

6-2.「普通」の絶対性

世の中には普通の人がいる。
普通の人はたくさんいて、普通に会話し、普通につながり、普通に楽しそうにしている。
僕は普通になりたかった。
けれど僕がどんなに努力して、背伸びをして、普通になろうとしても、上手くいかず、笑われるだけだった。
普通の人に馴染めず、どこに居ても邪魔者になった。
あさりの味噌汁の砂利みたいだ。
お汁のなかにいて、口の中に不愉快さを覚えさせるだけの存在だ。

その頃の僕にとって、「普通」というものは絶対的な存在だった。
「普通」であることが望ましく、「普通」から逸脱した存在は邪魔になる。
「異常」な存在は価値がなく、いない方が良い。
優生思想のように、僕は自分を否定していた。

6-3-1.「異常」の肯定

自分の在りように悩み、カウンセリングを受け、病院にも行った。
場面緘黙症と言われたり、中等度から重度のADHDと言われたり、ASDに当てはまると言われもした。
普通から逸脱したことを示すレッテルばかり付与される。
異常性がつまびらかにされながら、それでも生きざるを得なかった。

だめな自分が、それでも自分を生きるならば、だめなままで生きていても良いとするならば。
それは、自分に価値があると信じることになる。

人はそれぞれ、その在りようで生きている。
普通だろうと異常だろうと、どんな人にも不変の価値がある、と仮定する。

僕らはそれぞれ、異なる存在である。
持って生まれた能力も、育ってきた背景も、習得した知識や信条、価値観も、欠損したものも、違う。
その全ての人に価値があるならば、全ての人が尊重される在りかたを考えることになる。

6-3-2.多様性の相互理解

僕は理解と受容を求めて、カウンセリングを受けてきた。
けれど援助職と被援助者という関係に、埋められない距離を感じた。

僕は他者に、受け入れられたいと望んでいる。
そして同時に、僕は他者を知りたいとも望んでいたのだ。

自分の内的な在りようも、思いの発露も、そのままに伝え、受け入れてもらえる。
相手の考えや価値観、そこにまつわる感情も、そのままに聞かせてもらえ、理解しようとできる。
それが僕にとって、「距離が縮まる」ということなのだ。
それが僕にとって、「つながる」ということなのだ。
そんな対話を通した相互理解を、僕は希求しているのだ。

7.偏差値に基づく絶対的な「普通」と、対話に基づく相対的な「普通」

正規分布の中央値を「普通」とし、「普通」からの離れ具合を偏差値で算出して、人の価値を評価する。
「普通」から離れた外れ値を取る人は、その価値が低く見積もられる。
そんな「普通」を基準とする社会モデルは、一般的にみられる。

対して、「どんな人にも不変の価値がある」と考える社会が成り立つと仮定する。
そのためには、自分とは異なる他者と、対話をして互いに知り合う必要があるだろう。

7-1-2.対話と他者の理解について

対話を通し、他者を理解しようとする過程について考える。
相手の行動について聞けば、そこに潜む思いが汲み取れる。
相手の考えを聞けば、信じる正しさを理解することもできよう。
見ている風景を知り、感じている思いを想像する。
それはまるで自分の心の中に、相手の世界のミニチュアを組み立てていくようなものだ。
そうするなかで、自分の持つ世界の枠組みも相対化されてゆく。

この作業は、ローレンツ変換のようだ。
この比喩を説明するために、少し、物理学の話をしたい。
冗長になること、お許し願いたい。

7-1-3.古典力学特殊相対性理論のお話

ニュートンが構築した力学の論理は、物体の動きを説明する。
物体の「位置」が「時間」とともに変化すれば、速度が計算される。
カメの速さも、車の速さも、月の速さも、観測者との「位置」の差と「時間」の変化から算出される。
「位置」と「時間」は、座標として一意的に決まっていた。

17世紀、光の速度が有限だと分かり、1809年にはおおよその光の速度が測定される。
観測を続ける物理学者たちは、やがて光の速度の差が観測できないことに気づく。

近づく車からこちらに投げられたボールは速くなり、遠ざかる車から投げられたボールは遅くなる。
同様に、近づく星から届く光は速くなり、遠ざかる星から届く光は遅くなるはずだった。
けれど、どんなに測定しても、光の速度には差がみられない。
物理学者たちは悩んだ。

ここで、アインシュタインは「光の速度は一定」だと仮定した。
光源から遠ざかる観測者から見ても、近づく観測者から見ても、「光の速度は一定」だというのだ。
この仮定が成り立つとすると、観測者の「位置」と「時間」、それを定める座標系自体を変化させることになる。
空間の在りようも、時間の流れすらも、観測者ごとに異なるのだ。
このとき、他者の座標系を、自分の座標系に捉え直す演算が、「ローレンツ変換」である。

7-1-4.心的世界の相互理解

「対話と他者の理解」に、話を戻そう。
人はそれぞれ、見ているものも、感じていることも、信じる物も、過ごしている時間も、異なる。
互いに異なる人生を歩み、異なる速度で成長してゆく。
それでも、人としての価値は、絶対に変わらない。
僕らが自分の在りようを大切にし、他者の在りようを尊重できるのならば。
異なる座標系にいる僕たちは、対話を通し、相手の見えるもの、考えること、感じる思い、心的な風景をも想像し、共に在ることができるだろう。
この作業を、僕は「人間ローレンツ変換」と呼びたい。

かつて僕が感じてきた、「普通」を基準とする社会モデル。
「普通」から逸脱した者が隅に追いやられる人間力動を「人間古典力学」とするならば。
対話を通して「普通」が相対化される社会モデル。
「どんな人にも不変の価値がある」と信じ、互いの在りようを尊重し、相互理解を通してつながってゆく人間力動は「人間特殊相対性理論」と呼べよう。

7-2.集団と数の力場

一対一の静的な対話を通して、相互理解を図る。
これが「人間特殊相対性理論」である。

一対一なら相手の考え、価値観、感情を尊重し、理解しあおうとすることができる。
しかし、人は社会的な生き物である。
集団をつくり、組織を形成し、活動を行う。

集団になると、多数派の力場が生まれる。
個々の特性が見えにくくなり、少数派は声を伝えにくくなる。
或いは少数派が生きやすい場づくりを行おうとすると、多数派が不公平感を訴え、批判的に働く。

この煩雑な人間力動を、僕は「人間一般相対性理論」と名付けることにした。

集団における相互理解は、本当に困難で、解法の見つからない方程式みたいだ。
ぼくは今後も解法を求め、模索を続けることとする。