生きづLABO研究員制度 活動ブログ

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社会が悪いのではなく、自分が悪いと思ってしまう

障害の社会モデルという考え方があります。これは個人が悪い、個人が問題と考えるのではなく、社会構造や環境の問題として考えるモデルのことです。

私自身、障害の社会モデルという考えについては納得ができます。障害があることによって難しいことがある人がいたとしても、その人の責任ではないし、できないのは環境のせいであるという視点がすぐに持てます。

しかし自分のこと、自分自身の生き方となると話は別です。このことによって、時々自分自身を追い詰めているような気もしています。

私はトランスジェンダー性同一性障害ではなく性別不合になって脱病理化されましたが、ここでは障害の一つとして扱います)なのですが、自分自身は障害の社会モデルを考慮(トランスジェンダーであることを言い訳に)せず、努力しなければならないという行動規範があるように思えます。

なぜ他者を見るときと、自分を見るときで、これほどまでに感情が変わってしまうのだろうと疑問に思いました。なので、自分の行動規範が社会モデルに乗らない理由を考えてみたいと思います。

 

まず、トランスジェンダーであることによってさまざまな困難がありますが、それらを社会の責任だとは考えにくい傾向があります。これには、過去に自分が悪いと思ったエピソードが多々あり、それが元になっているかもしれません。

そのため「まず自分が努力しなければならない」「自分の側で改善するべきだ」と考え、環境による困難も自力で乗り越えるべきだと思ってしまいます。

また「社会」という概念について、自分も社会の構成を構成する1人である以上、社会の責任=すなわち自分の責任でもあると論理飛躍させてしまいます。その結果、環境要因で生じる困難であっても自責的に捉えて「自分が頑張るべきだ」という結論づけてしまいます。

(また社会に変革を求めるよりも、自分自身の改善を求めたほうが容易なので、その方向に考えが寄りやすいのもあるとは思います。)

現在、トランスジェンダーであることでよく思われないケースもあると思うので自分の弱みを見せるのではなく、理解されにくい属性だからこそ成果で示したい、トランスジェンダーであることを言い訳にしたくないという気持ちもあるのかもしれないと思いました。

そう思ってしまうのは、やはり自分がトランスジェンダーであることがコンプレックスで、トランスジェンダーであることを認めたくない、そんなことは考慮せずに頑張らないと、という気持ちがあるのかもしれません。

また社会の責任にするのではなく、自分が社会に大きな影響を与える側として、将来尽力しないといけないという自分へのプレッシャー?もあります。そのため社会の責任にせず、まずは個人で頑張ろうという気持ちが働く気がします。