生きづLABO研究員 活動ブログ

NPO法人地域生活支援ネットワークサロンが運営しています

イマジナリーフレンドとわたし①

私の頭の中はいつも何か言葉を吐き出したい気持ちでいっぱいだ。
言葉は生まれてくるときは猛スピードで駆け抜けてくるのに、
一度頭の軸を追い越してしまうと、あっという間に自分からいなくなってしまうから
その言葉を失わないうちに、その気持ちや衝動を捕まえられているうちに
書きたいテーマはしっかり書き上げてしまおう。
そんな気持ちでいるうちに、今回はタイトル通りのことを書いてみようとおもう。

これを読んでいる誰かにも幼いころ、似たような存在はいたかもしれないし、
あるいはいなかったし、今もずっといないままの人もいるかもしれない。
けれど、私にはずっといてくれた。
大人になるにつれて、時々「今はいないな」と感じることは増えてきたけど、
ピンチの時、真っ先にヨイショーって感じで出てきてくれるのは変わらず彼らだった。
ただ、「ずっといる」といっても分からないことはわからない。
どうして私に彼らのような存在が生まれたのかも、
私の脳内がどうなっているのかも未だに説明するのが難しい。
昔、ネットに唯一イマジナリーフレンド(以下、IFと呼ぶ)のことを書き込めるサイトがあって、そこなら何かつかめるかもしれないと思ったけど、
あまり確信を得るような情報にはたどりつけなかった。
近年公開された映画「屋根裏のラジャー」ではIFとIFの創造主が主人公だった。
こちらは予告編から気になっていたので原作も読んで、映画も観た。
ただ、映画は思った以上にファンタジー色が強めだったことと、
原作では創造主の性格に少し難があること。また、海外小説の翻訳だから飲み込みづらかった表現が多かったのもあるかもしれないが、結局これからも良い情報にはたどりつかずに終わった。
IFのことをおおよそ20年間ほど調べて気付いたのは、
『IF関連の経験談の積み重ね』がなによりの手掛かりになるかもしれないということ。
人によっていつからいるかも、感じ方も、IFの年齢も、みんなバラバラだから。
“こういう経験をした”という積み重ねが、誰かのヒントにもなるかもしれない。
IFのことを積極的に表に出す人は少ないかもしれないけど
もし、私のこの記事が誰かがIFについて知る手掛かりとなってくれるなら
これを書く意義は間違いなくあったのかもしれないなぁ、とおもう。
でも、できたら気軽に、のんびり、適当に読んでほしい。
私も私で気楽に書くので。
ちなみに、この第1回の記事も寝る前にふにゃふにゃ状態で書いている。
先のことはあまり考えていない。
でも、「書きたいから書く」が出来てる今を、私は心の底から幸せだと感じているのだけは確かなので、ゆる~く、ゆる~くやっていきたいとおもう。

ひとまず、続きは第二回目で。(更新不定期)(気分次第)
二回目は経験をもとに出会いとか色々書きたい(仮)