3月、聴き続けていたラジオ番組が一気に終わった。慣れ親しんでいた曜日パーソナリティの人も卒業した。歳の近い同僚の社員さんも卒業するらしい。なんか色々と、一気にきた。そのせいなのか、ぽっかり穴が空いた……とは違うな。穴は空いてない。ただ隙間が微妙にあって、その隙間が気になって仕方がなく、落ち着かない感じが4月に入ってからずっと続いている。どうしたものかなぁ……と頭を抱えながらこの記事を書いている。どうしたものか。
仕事探しに苦しい頃から仕事をしている今までずっと安心の支柱に立っていたあるパーソナリティの人がよく言っていた。「終わりは必ず来る」そして、その人は最終回でも言っていた。「終わらなければ始まらない」と。 その言葉を聞いたら、本当にその通りなんだよなぁ〜と頷くことしか出来なくて。ただ、わたしが今立っているこの場所は「終わり」なのか「始まり」なのかといったら……う〜〜〜〜ん。「どっちでもない」かもしれない。「始まっている」感覚も「終わっている」感覚もしないのだ。何かいつもその狭間にいるような気がする。その狭間の中で、多分無意識のうちに毎回今いるこの場所で『何をするべきか』というのだけ考えて、歩いたり、休んだりしてきたのだろう。だから、普段ならこの季節でなんとなく気にする程度に留まるほどの隙間を、身近な人々が一斉に新しい旅路を決めた今年度はいっそう強く気にしてしまっているのかもしれない。
いつの日も頭の中にこびりついて離れないのは、「ひとりぐらし」「自立」「お金」の言葉たち。考えなきゃいけないことを思い浮かべると、たいがいこの3つの言葉が真っ先に浮かんでくる。この3つはわたしの中で自然とイコールで繋がっていて、たとえ1つだけ思い浮かべたとしても、あとから必ず2つともついてまわる。物件サイトをあちこち調べて勉強するうちに、辿り着いたのは「お金があれば幅が広がる」ということだった。「お金があれば安心出来る」は近いけど、少し違う。幅が広がれば、選ぶことが出来る。選択肢が増えるのはゆくゆくは安心にも繋がるけど、なにより自分で選べるのと、無理矢理選ぶことの差の方が自分にとっては大きいことなのだとおもった。「ひとりぐらし」その先の「自立」を見据えたら、今働いているところでは働けなくなることも、分かっている。分かっているから悩むし、なんか、怖い。立ち止まっているだけなのは怖い。だから動きたい。けど、焦って無理矢理考え無しに安心を求めて行った先に何があるのかは過去の自分が1番理解しているだろうから、簡単には出来ない。自分のペースで、焦らないで、地面に着いた上での決断なら……でも………その繰り返し。
人に助けを求めたい。助けを求める時に必要な言葉は見つからないけど、助けを求めたいのだけは分かる。この「始まり」と「終わり」の狭間から何とかして"助けて"と叫びたい。どうしたらいいのかは自分の心が一番分かってるだろう。でも、ひとりじゃなんとか出来ないからこうして文章だけでも「助けて」と叫びたかったんだなぁ、と書いていて気づいた。 "このSOSに気づけただけでも、君は十分なんだよ"と隣から声がした気がする。それなら良かった。
大丈夫になるといいなぁって思いながら、こんな感じで今日も私は狭間から声を出す。今日も狭間で息をして、歩いている。