生きづLABO研究員 活動ブログ

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生命の慟哭

私にとって文章とは生命の叫びである。ただの文字ではない。他の記事やコメントを読んでいて思う。憲法も、権利も、みんなのものである。法専門家だけもものでは決してない。今、この瞬間を生きている。懸命に生きている。もがき、生きている。そんな彼・彼女を、憲法は陰から見守っている。私はそう信じたい。憲法は生き物でも、神様でもない。でも、人工の神様である。私達がつくりだした神様である。なら、その神様は私たちに優しくたっていいじゃないか。どうして私たちをイジメる道理があろうか。強い個人が唯一の権利を持つのではない。弱い人間だって権利を持っている。生きる権利をもっている。どうしてそれをわからぬか。
 権利を行使できない。なら、助ければいい。エンパワメントを発揮できるように支援する。それが国の義務とすればいい。憲法の体現者としての国を表出すればいい。どうしてそれが分からぬ。障害者であるだけで権利義務の主体足りえないとする。過去の学説はどうかしている。人の及ばぬ領域ではない。憲法は人間が作り出した不完全な神様であっても、人の手が及ぶかもしれないだろう。バベルの塔かもしれぬ。でも、それでも希望をもって、前へ進みたい。だから、社会契約という妄想を、過去の偉人は抱いた。理性に見出そうとした近代哲学者たちがいた。弱い人間を舐めるな。
 私は、今、ここで、生きている。死にたくても、生きている。