生きづLABO研究員 活動ブログ

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ぼくプリ2から得たわたしの感情の記録

ここ数日の演劇熱が再燃するなか、「Dancing☆StarプリキュアThe Stage2」通称"ぼくプリ2"という作品を見たところ、その作品があまりにも濃く、強く訴えてくれるかつテーマが明確だったため、「書きたい!」という衝動を抑えられず、今この記事を書いています。
※ネタバレになるのでこちらの作品の感想は簡単にしか述べられないのですが、とりあえず簡単に「性別の役割」や「愛されなかった過去」、「好きなものを馬鹿にされた過去」などが描かれた作品です。(配信あり。個人的には1より2のほうがテーマがはっきりしていたので、2からでも大丈夫だと思ってます。でも1もよかった。ダンス最高。)ただ、ネタバレはしないものの台詞の一部は拾っている。もしくは、こんな感じのことを言っていた、みたいな書き方をしている箇所があるはずなので、何も知らずに観たい!という方は本編を観てからこちらの記事を読んでいただくことをおすすめします。
※感想というか、記録や自己整理に近い。

わたしは小学生の頃、おそらく「ぶりっこみたいだから」という理由でいじめを受けたことがある。("おそらく”と書いたのは、今も理由が自分ではっきりとわかっていないから)それは、今思えばあの時は自分と他者との境界線がよくわかっていなかったり、『グループに属する』という意味が分かっていなかったり(これは今もあまりよくわかってはいないけれど)、いろんな要因が重なってできてしまったものなのかもしれない。けど、今も納得していないのは、本当にそれは「いじめ」じゃないと伝えられなかった思いなのか?ということだ。わたしのことを菌扱いしないとわたしの好意(行動)が好きではないということを伝えることとはできなかったのだろうか。中学生の頃にはいじめは少なくなっていたものの、仮面ライダースーパー戦隊をはじめとしたヒーローシリーズだけが唯一胸を張れる『好き』のひとつだったわたしに対して、それを否定するような言葉をかける同級生はまだいた。今でも鮮明に覚えている。わたしのために手作りで戦隊の変身アイテムを模したものを作ってくれた数少ないオタ友の後輩からもらったプレゼントを、折り曲げ、だれかの身体の嫌なところにおしつけて、わたしに返したあの日のこと。今でこそヒーローは性別関係なく好きになって良いという風潮が広まりつつあるものの、当時は周りに好きになってくれる身体的に同性の友達はいなかったし、基本的にはひとりで、ネットに向かって『好き』を発信し続けていたさなかのその出来事だった。・・・・もう消化したつもりだったのだが、書いていてだいぶ腹が立ってしまいそうなので、今回この件を思い出すのはひとまずここまでとする。

そんなわたしの過去があるからこそ、ぼくプリ2の悪役のようなひとりの「差別を受けた者の苦しみは受けた者にしか分からない」みたいな台詞にはいたく感動した。心から「それは、そう」とおもえた。この台詞を言うキャラクターのバックボーンも備わって、重みがとんでもない。演じている俳優さんのバックボーン(俳優歴)からしても重みしかない。ズシ、ズシ、ズシーン!とくる。けれど、そもそも物語全体が他人事とはおもえないほど社会の傷をしっかり描いている作品なので、この作品をわたし以外の、わたしのような傷を負って今もその傷を抱きしめながら、かばいながら歩いている人たちにはどう映るんだろうと興味がわいた。ほかの人はわからないけれど、少なくなくともわたしの背中はちゃんと押されていたから。わたしにとってはその言葉を言ってくれた貴方はヒーローでしたよ、と心の底から伝えてあげたいほどには。

過去の絶望は消えないし、傷は思い出そうとすればすぐ手の届くところにあるものなのかもしれない。それでも、"わたしが。わたし自身が好きなものは、誰かから何を言われようと、思われようと、『好き』で良いのだ"と、この作品を観て改めて気づくことができた。たまに再燃したとき、こういうことが起こるから演劇っていつの時代も最高だよなぁ~!と心からかんじる今この瞬間がたまらなく『好き』だ。また心を動かされた作品があったら、ネタバレしない程度に感情整理したいとおもう。