生きづLABO研究員 活動ブログ

NPO法人地域生活支援ネットワークサロンが運営しています

このブログについて

このブログは、NPO法人地域生活支援ネットワークサロンが運営しているサイト「生きづLABO」の活動の一つです。

ikidulabo.com

生きづLABOは、いろんな角度から、社会について、自分について知り、一緒に考える場を作り出しています。一番は生きづらいと感じている人のためのサイトですが、しんどさを抱えている人をサポートする立場の人や、生きづらい社会をなんとかしようと活動している人に対しても、参考になるような情報を発信しています。

この事業は、中央共同募金会の「赤い羽根福祉基金2026年度」の助成を受けて実施しています。

※2025年度は「令和7年度(令和6年度からの繰越分)こどもの居場所づくり支援体制強化事業」の「NPO等と連携したこどもの居場所づくり支援モデル事業」として、こども家庭庁から補助金を受けて実施していました。

生きづLABOでは、生きづLABOの活動に協力したいと思ってくれている人の活動の機会として、研究員制度というものを作っています。登録することで、情報発信、勉強会や交流、企画に参加することができます。(詳しくはこちら

このブログは、研究員の発信の場と、活動の報告のために作成しました。

生きづLABO(運営するNPO法人地域生活支援ネットワークサロン)の活動の一つとして、研究員一人ひとりの発信を尊重しながら、研究員の活動を伝えたいと思います。

傘をさす死神

最近は薬のおかげもあってか、幻聴、幻覚のたぐいがめっきり減った。それもあり、割と穏やかな生活を送れている、と思う。
 とはいえ、雨の降る夜、傘をさす黒い影をみた。もちろん、人かもしれない。しかし、昔みた黒い影にそっくり、そんな気がした。昔、死神とは骸骨ではなく、布であるという話を聞いた。確かにと、妙に納得してしまった。
 古今東西、死神だけは共通した「神」である。死というものは、如何なる民族も、国家も超越し、ただ「人間」というだけで降りかかる事象である。故に、「死」を司る「神」という観念を抱けるのだろう。
 もし、布が本体であるのなら、いのちを刈り取るのではなく、布であるなら包み込むのではないか。そう思う。
 土手で座っていたあの時の黒い影も、死神だとすれば、何を思っていたのだろうか。

研究員の好きな言葉・心に残った言葉(1)

研究員の活動では、それぞれの「好きな言葉・心に残った言葉」の紹介を内部で行っています。

今回はその中から5つ紹介します。これからも投稿が集まったら、また紹介していきたいと思います。

 

「ハ! 科学のカの字も知らない私からすれば その地球の 全てを駆使して生きようと 全人類で何百万年の叡智を積み重ねる その方がよほど雄大に見えるがな」(稲垣理一郎/Boichi Dr.STONEより)

よく言われる「雄大な地球から見れば 人類なんて寄生虫だっていう⸺」という発言に対しての言葉。生きようとすることそのものを直接肯定してくれる言葉と感じた。

 

いつか僕が手放した 僕をそっと抱きしめた
“生まれ変わったって僕でいたい”
なぁそうだろ 君は君を
思うように変えていける
From here to anywhere with me
(Aぇ! group「PRIDE」より)

自分の人生の第一次どん底期(と呼んでいる)3年前の夏に出会った曲の落ちサビのフレーズ。飽き性な自分が未だに飽きずに聞いている、そんな神曲。この曲を初めて披露した頃のAぇ! groupはデビューできないと言われていた。それをひっくり返したこの曲は本当に素晴らしいと思う。
今回あげた歌詞がPRIDEの一番好きな歌詞。諦めた自分に対して歌っているような歌詞で本当に好き。この曲は良い歌詞が本当に多いので一回聴いてみてほしい。

 

「基督は転んだだろう。愛のために。自分のすべてを犠牲にしても」(遠藤周作『沈黙』より)

「愛」とは何か。「正義」とは何か。たとえ教義、法律に背くとしても、なさなくてはならないこと、そういうものがあるのだろうか。そういったものを、キリスト教的な視点でありながらも、人類普遍的なものを探る印象深い言葉であると感じている。

 

「きっと神様なんていないから
あなたは誰に救われることもなく
あなたの痛みやあなたの暗闇を
一人で飲み干すことでしょう
それでもあなたが生きていくことに
なぜか僕が救われてしまうから
僕も あなたが
そう思えるように
生きてみたいのです」
(バンド名「それでも世界が続くなら」 曲名『永遠』)

私の中には”どれだけ幸せを感じても、どれだけ目の前の人を信頼したり、愛したりできていたとしてもそれでも消せない痛みと暗闇がある“という前提があって。
だからこそ「私の力であなたの痛みを消したい」とか「あなたを救いたい」とは決して言えないし、そういう言葉が好きではない。それを言ってしまったら相手の抱える思考や感情を踏み潰す事につながると思っているし、
相手を救えない事がそのままお互いの信頼や愛情を否定する事になってしまうと思っている。誰にも触れられないあなただけの思考と感情があるとわかった上で、それでも“僕もあなたと同じように生きてみたい”という言葉の方が“救う”という言葉よりしっくりくる。

 

「こんなにぼろぼろで
ぐちゃぐちゃな心のままで
動いてしまう体が憎らしい日のこと
平熱知らせる体温計に嘲笑われて
救われないって分かって泣いて眠たいから
永眠しましょうね」
(なるみや「永眠のすゝめ」より)

なるみやさんの「永眠のすゝめ」という曲の歌詞の一部です。サムネを見た時びびっときて聴いてみたら、全部の歌詞が共感しかなくてめちゃくちゃハマって鬼リピしました。本当は歌詞全部載せたかったんですけど、、、(気になったらぜひ聴いてみてください!)
なるみやさんの曲は全部胸に刺さるっていうか、あー分かるなぁっていうのが多くて本当に大好きです。透き通る声で美しい。
特に僕がうわぁってなったのは「平熱知らせる体温計に嘲笑われて」ってところです。
ほんとに、熱出て欲しいですよね。自分のことかと思うくらい解像度が高いんですよね、、、。
ちなみにこの曲、字幕をつけるとさらに深く味わえるので見てみてください!

最近、前向きな俺。

もちろん、無理なく続けられる仕事、自分に合う職場に巡り会えたらもちろん良い、
その上で、現在無職の俺がダメだとは思わない。

俺はできないことも多いけど、できることもあるし、生きていていいし、助けを受けていいし、助けを求めていい、今ならそう思える。

自分も自分なりにできていることがあるんだと思えるようになって、
自責しすぎずに済むようになったし、
できる範囲のことを無理なく頑張ろうと思えるようになったし、
何より生きるのが楽しい。

自分なりの頑張りと、自分なりの楽しいと、
自分なりの幸せを積み重ねて、
今日も俺は生きている。

また後ろ向きになったとしても、そのときはそのときだ。
逆に言えば、また前を向けるってことだから。
今これを書いてる俺はそう思う。

他者の喪失は自己の喪失であること

人が死ぬ。そして悲しむ。それは通常行われる人間の生理現象のようなものである。他方で、主観的に、自己自身にとっては重要な契機でもある。
 すなわち、自殺とは自己の喪失と共に他者の喪失であり、他者の喪失は自己の喪失である。後に残された者のことを考える必要がないとすれば、それはどうしようもないが、後に残る者への影響を考えるならば、自殺というのは、実は他者を傷つけてしまう行為かもしれない、ということである。
 自己にとってどのような属性をもった他者であるかに左右されることもあるだろう。とはいえ、友人の自殺等による喪失は、明らかに自己の欠損を意味する。自殺した他者とのあり得たかもしれない記憶を思い描き、来世に向かって祈ることしかできない。
 個人は自律した存在であるとともに相互依存的な存在である。この2面性は否定しがたい事実であるところ、他人の死は自己の死を意味しかねないのである。
 裏を返せば、自己がありのままで豊かであること、それは他人も豊かであることを意味するのではないか。他人が豊かであれば、自己も豊かである。
 しかし、自己のために豊かであるほうがよい、他人のためではなく、自己のために、すなわち利己的であることが、結果的に利他的である、と思う。

俺の生きたい気持ち。

人のつらさを知るのは意味あることだと思う、誰かの立場をほんの一部分だけでも想像できるようになることは意味あることだと思う。
でも最大のデメリットというかリスクがあって、
それは自分のつらさと比べてしまうことだと思う。

このかたはこんなに頑張ってるのに、俺は恵まれてるのに…。
そうやって自分の痛みを否定してしまうと、苦しすぎる。
俺的にはわがままと言われるかもしれないことは承知の上で、「他者のつらさを知る」は余裕あるかたに任せたい。

俺以外のつらさを知るだけでしんどくなる。
「俺はこんなに恵まれてるのに、なんでこんなに死にたいんだ、こんな俺死んだほうがいいって、つらい思いしてる誰かのために頑張らなきゃなのに、頑張ろうと思えない、俺はクズだ、死んだほうがいい…。」

自己否定して苦痛を味わったり、
つらさを知る苦痛そのものを味わうくらいなら、
どんな他者もどうでもいい、俺は俺のために生きる。
誰かに頼って生きる。
そう思う俺自身を肯定はできないが、俺自身を守るためクズになるしかない。
壊れないために壊れるしかないの。

でも、助けないと助けてもらえないなんて、
「助けなきゃダメ」「助けるために努力しなきゃダメ」なんて、そんなことはないのかなと、
生きづLABO所長室の質問回答「Q.他者を助けたいと思えないのに助けを受け取りたい自分が嫌になる
の、生きかたカエルさんの回答を見て感じた。

オンラインで繋がっている友達や仲間との交流を楽しみたいからとか、
好きなアプリを楽しみたいからとか、
少なくとも今は死にたくないからとか、
俺が生きている理由はこんな感じだ、
そして、
俺は、俺のために、俺の未来を諦めたくない。
「頑張れないなら死ね。」なんて直接言われた記憶はないが、
そんな風潮を感じてしまう。
だから、
「うるさい死んでたまるか、俺は生きてやる。」
と、福祉の仕組みに頼って生きるつもりだ。
これが俺の生きたい気持ち。

俺は、
少しでも苦痛なく、
少しでも楽しく、
少しでも穏やかに過ごしたいし、
少しでもマシな選択をしたい。
そして、俺以外も、苦しんでほしくない。