生きづLABO研究員 活動ブログ

NPO法人地域生活支援ネットワークサロンが運営しています

このブログについて

このブログは、NPO法人地域生活支援ネットワークサロンが運営しているサイト「生きづLABO」の活動の一つです。

ikidulabo.com

生きづLABOは、いろんな角度から、社会について、自分について知り、一緒に考える場を作り出しています。一番は生きづらいと感じている人のためのサイトですが、しんどさを抱えている人をサポートする立場の人や、生きづらい社会をなんとかしようと活動している人に対しても、参考になるような情報を発信しています。

この事業は、中央共同募金会の「赤い羽根福祉基金2026年度」の助成を受けて実施しています。

※2025年度は「令和7年度(令和6年度からの繰越分)こどもの居場所づくり支援体制強化事業」の「NPO等と連携したこどもの居場所づくり支援モデル事業」として、こども家庭庁から補助金を受けて実施していました。

生きづLABOでは、生きづLABOの活動に協力したいと思ってくれている人の活動の機会として、研究員制度というものを作っています。登録することで、情報発信、勉強会や交流、企画に参加することができます。(詳しくはこちら

このブログは、研究員の発信の場と、活動の報告のために作成しました。

生きづLABO(運営するNPO法人地域生活支援ネットワークサロン)の活動の一つとして、研究員一人ひとりの発信を尊重しながら、研究員の活動を伝えたいと思います。

2026年7月 生きづLABOと研究員活動の報告

2026年7月の生きづLABOの活動報告をします。

生きづLABO全体について

7月の新着情報は29件。これまでと同じペースの平均1日1件ペースですが、6月に比べると質問回答のYouTubeライブの回数が多かったというのは運営の感覚としてあります。(数えてみたら、6月は2回、7月は4回でした)

所長室の質問回答以外のコンテンツの更新はありませんでした。

お知らせとしては、2026年8月9日(日)~2026年8月23日(日)の期間、質問箱の受付停止期間を設けることを伝えました。

あとは裏では「ダウンロード配布・グッズ」のページ作成を進めるなど(スマホ壁紙などをダウンロードできるようにします)しているのですが、7月は運営がサイト改修の時間をあまり取れなく、7月中に公開できなかったのは悔しい思いです。

お待たせしている方にも申し訳ないので、8月中には公開できるように頑張ります。

研究員の活動について

このブログの先頭の固定記事でも説明していますが、研究員制度は、生きづLABOに協力したいと思ってくれている人が、活動に参加できる仕組みです。
登録することで、情報発信、勉強会や交流、企画などに参加することができます。

この記事を書いている2026年8月7日時点での登録者数は、70名強となっています。
※流動的なのと、参加の仕方も色々なので、大まかな人数のみ公表します

登録フォームを送ってくれた人数だともう少しいるのですが、メール不使用の登録フォームで本登録に至らない件が多く、方法がどうしてもわかりにくいのかな‥‥とは思っているところです。

情報発信

過去の記事が埋もれないため&いろんな人の記事をバランスよく読んでもらえるように、記事の更新日を変えて順番を操作してしまったので(最新5件だけはいつも本当に最新です)、研究員ブログの新規投稿数が7月はよくわかりません。

また、研究員限定で公開するスタイルの記事掲載も始めたことから、余計に数えづらくなっています。一応数えようと思えば可能ですが、今回は省略します。

8月から諸事情で研究員個人が投稿する記事の掲載の休止期間に入ったので、8月は更新が少なくなると思います。ご了承ください。

チャットルームなど

チャットルームの開催は3回で、新しい取り組みとしては学識経験者をお呼びしてのZoom研究会を行いました。

Zoom研究会では「居場所」「死にたい気持ちと予防について」をテーマに、学識経験者のゲストと、スタッフ2名で話をしました。参加者は口頭で発言する人はいなかったですが、チャットで発言が寄せられ、様々な意見や感想を共有できました。

チャットルームはテーマチャット「ふらっと行ける居場所の条件は?」「希死念慮の波にどう対処しているか」「落ち着く方法を語り合う」を行いました。

また、フォームでは「好きな言葉・心に残った言葉」を募集しています。研究員ブログにもまとめて記事にしているので、よろしければ読んでください。

研究員の好きな言葉・心に残った言葉(3)

研究員の活動では、それぞれの「好きな言葉・心に残った言葉」の紹介を内部で行っています。

今回はその中から4つ紹介します。これからも投稿が集まったら、また紹介していきたいと思います。

 

運鈍根

昔、ことわざ辞典で見つけたことわざです。生きるには運と、鈍いくらいの感性と、根性が必要という意味です。

 

睡眠だけはとりなさいね。宿題や勉強するよりもまずは寝なさい。

高校の時の担任の先生です。わりと進学校だったと思いますが、それ以前、睡眠削ってでもやれと言う人はいても、そんなことを言う人は初めてで、びっくりしたのを覚えています。なんとなく、それを機にその先生だけは信用していました。人と会うのも話すのも嫌いな自分ですが、唯一、1回だけでいいから話したいなーと思える先生です。二度と叶わない夢ですが。

 

性はグラデーション

自分の性のあり方が世間の大多数とは違うことに悩み、何かしら「名前」を探して自分を当てはめようとしていたとき、相談員さんに教えてもらった言葉です。心にスッと入ってきて、心が幾分か軽くなったのを覚えています。そこから辛いときも多かったですが、この言葉をお守りのように感じています。

 

万代を経るとも、答えは変わらず、ただ二つ是か、否か

二進数は「0か1か」「真か偽か」「是か否か」といい一方、十六進数は複雑な情報や膨大な知識、技術、計算をいう。どれほど世界が複雑になり、技術が進歩し、情報量が増えたとしても、最後に人が下す決断は変わらない。
「進むか、退くか。」
「救うか、見捨てるか。」
「撃つか、撃たないか。」
これは、たった二つの選択である。どれほど世界が複雑でも結局最後の決断はいつの時代も単純であり、二択である。

研究員の好きな言葉・心に残った言葉(2)

研究員の活動では、それぞれの「好きな言葉・心に残った言葉」の紹介を内部で行っています。

今回はその中から4つ紹介します。これからも投稿が集まったら、また紹介していきたいと思います。

 

壮大なテーマじゃ 先に進めないよ
単純であればこそ 繋がる物語
(井ノ原快彦さんのソロ曲 I・N・O=NUT KIDより)

小さなことをちょっとずつしかできない自分ですが、でも少しずつ物語というか、何かしらに繋がっているのかなぁと思うと、少しだけ落ち着くというか、安心します。

 

「胸を張って生きろ。己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと、心を燃やせ、歯を食いしばって前を向け」(鬼滅の刃の煉獄杏寿郎 無限列車編より)

この言葉は、1番自分の心に残っていて、辛いことや大変な事が起きても、この言葉を思い出して頑張って生きてます。嫌な事が起きても、立ち直れる人になりたいと思いました。

 

フラグ立つ間もなく折れる
フラフラになって倒れる
「立ち上がるな」って
たとえ誰が止めたとしても立っちまうんよな
(さとみ 「シュガーテイスト」より)

私は無理しすぎてフラフラで、傷ついた心は元に戻らないし、もう無理もう動けない、という気持ちを抱えています。
それでも自分の生き方は自分で選びたくて、しんどくても自分の足で進みたくなります。このフレーズには、その気持ちを肯定してもらえたように感じました。

 

愛しくて、辛くて、世界を嫌ったヒトの
酷く理不尽な「構成」
肯定していちゃ未来は生み出せない
(じん 「チルドレンレコード」より)

「その人が世界を嫌わなくてはならなかった理由、背景」の部分に焦点を当ててくれているところが好き。
「構成」は社会構造や、生育環境のことかなと思いました。
私も世界を嫌ったり、自分を嫌ったりしてしまうけど、その背景に「愛しさ」や「つらさ」があることを見てくれて、理不尽さを肯定しないでいてくれてありがとうと感謝の気持ちがわいてきます。

苦しみは、女の顔をしていない

最近、「戦争は女の顔をしていない」という小説の漫画版を読んだ。かつてあったかもしれない青春を、戦争という日々の中に消えていった女性たちの物語である。
 ちなみに、性別違和はないので、当事者ではない。故に、性別違和の苦しみがあれば、それを恐らく直接的に理解することはできない。しかし、裏を返せば、私の苦しみもまた同様に他人には理解されない、ということでもある。要するに、他人に自己の苦しみは理解されない、ということである。
 もしかしたら、このことからいえることとして、「苦しみ」の渦中にいる者は、性別に関係なく、ただ、自己の置かれた状況の中において、「苦しい」という一点で共通しているのかもしれない。
 かつて、戦争という災禍の中で、性別に関係なく死の淵に立たされた彼女たちと同じように。戦争は、男も女もなく、ただ、一人の兵士として死んでいくことをせまる。「苦しみ」もまた、原因に関わらず、性別に関わらず、精神をむしばむ状態であろう。
 「苦しみ」は福音か、それとも彼岸の渡し船か、私にはわからない。

傘をさす死神

最近は薬のおかげもあってか、幻聴、幻覚のたぐいがめっきり減った。それもあり、割と穏やかな生活を送れている、と思う。
 とはいえ、雨の降る夜、傘をさす黒い影をみた。もちろん、人かもしれない。しかし、昔みた黒い影にそっくり、そんな気がした。昔、死神とは骸骨ではなく、布であるという話を聞いた。確かにと、妙に納得してしまった。
 古今東西、死神だけは共通した「神」である。死というものは、如何なる民族も、国家も超越し、ただ「人間」というだけで降りかかる事象である。故に、「死」を司る「神」という観念を抱けるのだろう。
 もし、布が本体であるのなら、いのちを刈り取るのではなく、布であるなら包み込むのではないか。そう思う。
 土手で座っていたあの時の黒い影も、死神だとすれば、何を思っていたのだろうか。