生きづLABO研究員 活動ブログ

NPO法人地域生活支援ネットワークサロンが運営しています

このブログについて

このブログは、NPO法人地域生活支援ネットワークサロンが運営しているサイト「生きづLABO」の活動の一つです。

ikidulabo.com

生きづLABOは、いろんな角度から、社会について、自分について知り、一緒に考える場を作り出しています。一番は生きづらいと感じている人のためのサイトですが、しんどさを抱えている人をサポートする立場の人や、生きづらい社会をなんとかしようと活動している人に対しても、参考になるような情報を発信しています。

この事業は、「令和7年度(令和6年度からの繰越分)こどもの居場所づくり支援体制強化事業」の「NPO等と連携したこどもの居場所づくり支援モデル事業」として、こども家庭庁から補助金を受けて実施しています。

事業の概要や、効果・活用法については、法人のサイトをご確認ください。

生きづLABO(こども参画型オンライン居場所開発事業) - NPO法人 地域生活支援ネットワークサロン

生きづLABOでは、生きづLABOの活動に協力したいと思ってくれている人の活動の機会として、研究員制度というものを作っています。登録することで、情報発信、勉強会や交流、企画に参加することができます。(詳しくはこちら

このブログは、研究員の発信の場と、活動の報告のために作成しました。

生きづLABO(運営するNPO法人地域生活支援ネットワークサロン)の活動の一つとして、研究員一人ひとりの発信を尊重しながら、研究員の活動を伝えたいと思います。

研究員自己紹介④(猫又ごんざぶろーさん、やわらかいのこぎりさん)

生きづLABOの研究員のプロフィールを2名分紹介します。

簡単な自己紹介にはなりますが、どんな人たちが活動しているのか、少しでも雰囲気を伝えられたらと思っています。

研究員になっても、自己紹介をする・しないは自由ですので、ここで紹介していない研究員もいろいろと参加したり活動しています。

また随時、研究員のプロフィールを紹介していきたいと思います。

【現代社会の闇に斬り込まない】おすすめの本2選【やさしくてやさしい本です】

皆さん、最近本読んでますでしょうか。

本に限らず、漫画やアニメといった物語の中でも最近は
メインストーリーの裏に、毒親・いじめ・同調圧力・雇用・性別などの問題が鮮明に描かれることが多いように思います。
そしてそれが解決していきます。

もちろんそういう描写に共感し、「私だけじゃなかったんだ」と救われることもあるかと思います。前に進む勇気を貰うこともあるでしょう。

しかし私はちょっと食傷気味です。
「そういう解決物語のために、心の闇に触って引っ掻き回さないでくれ」という気持ちになってしまう。放っといて欲しいのです。本読んでる時くらい心を休ませたいのです。

現代社会の闇を巧妙に描写し、暴き、そこに切り込んで痛烈に批判するようなものを
もう読みたくねえ!!という人間もここにいるのです。

今日はそういう人のための本を、取りあえず2つ紹介させてください。


① 斜線堂有紀『さよならに取られた傷だらけ 不純文学』

1ページ一話で完結する物語が、何個も何個も載っています。
どの物語にも、「私」と「先輩」が登場します。
悲しいこと、嬉しいこと、驚くようなことが起こって、それが連なって、次から次へと起こった出来事はいつか爆発するのです。

世界が滅びることもあります。
死んで幽霊になることもあるでしょう。
私と先輩が夫婦として添い遂げることもあるかもしれません。

ただ、どの物語にも必ず、私と先輩がいる。それが大切なのです。
他に何がいるでしょう?


②浅井音楽『しゅうまつのやわらかな』

浅井音楽さんという臨床心理士さんが送る、ゆる〜い日常の書かれたエッセイ。

エピパンをエビパンだと思っていたこと、お口が満足するまでとんかつを食べ続ける日々。
偏食から見たスーパーマーケットに、雨曝しの道で育んだ「先生」との絆の思い出。

そういうことが描かれています。
毒にも薬でもなくて、この本はもはや休日に啜る温かいほうじ茶。

暇な時にぺらとめくると、心が落ち着きます。

 

以上。
また何かおすすめしたい本があれば何か書きま〜〜〜〜〜〜(ゆる人間だから「す」で締めない)

表面的な男らしさをやめる

私はftmだけど、たとえば俺という一人称を使ってみたり、強い言葉を使ってみたりと、いわゆる表面的な男らしさを目指したときがあった。

(もちろん俺という一人称を使いたいFTMはいるだろうし、それを否定するものではないです)

最近、まだ綺麗に言語化できないけれど、表面的な男らしさに縛られるのは、違うんじゃないかなと思うようになった。

多くのシスジェンダーは、自分自身の行動=その性別らしさと考えているはずで、わざわざ男性らしく振る舞おうと意識しないはずだと私は思う。

(男らしくなるために筋トレするぞ!みたいなのはあると思うけれど、今回の例とは少し違うと思う)

なので、この行動が男性らしいものかを考えるより、まあ男らしさだろうと、淡い確信を持つ方が重要ではないかと思った。

シスジェンダーのようにこうしようと思うより、自分も男性なわけだから、自分が振る舞いたいように振る舞えば、それは男性の振る舞いだろうと思う感覚に近いかな。

無理して表面的な男性像を真似続けると、なんだか無理している様子が相手に伝わってしまいそうな気もする。

(たとえば私は低身長、見た目が中性的なので、俺というイメージがなく、ちょっと違和感あるかもしれないと言われた) 

と考えるようになってから、FTMだけど私という一人称を使うことに抵抗はなくなったし、あえて男らしい振る舞いをしようという気持ちにはならない。

私という一人称は、成人男性でも使うことはあるし、自分もその括りに入ると思っているからだ。

結局何が言いたいかというと、シスジェンダーに憧れ続けるより、自分に自信を持つことが重要なのかなと思った。それが難しいのだけれど…。

大学進学で実家を出るための方法

前提として、大学に進学することは確定しており、親からの虐待から逃れるための実家を出るための方法というよりも、親と不仲ではないものの、実家から出たいという方のための記事です。

私自身、トランスジェンダーで、家族とは不仲ではないものの、一人で暮らすることで自分探し的なことをしたいと思い、大学進学を機に、実家を出ることに決めました。

実体験も元に、大学進学で実家を出るための方法について考えてみたいと思います。

金銭的な問題で実家を出ることが難しい場合は、奨学金などの選択肢がありますが、複雑なので今回は割愛します。

私がやった方法

私がやった方法は、関東圏や関西圏などの大学の多いエリアに住んでいると難しいと思うのですが、一応書いておきます。

①遠方の大学へ行く

一般的に、自宅から通学圏外の大学に進学するのに、一人暮らしするというのはなかなか理解されないことが多いです。まずは自宅から通うのは無理だろう、と思われるくらい遠方の大学を探しましょう。

②その大学でなければならない理由を探す

自宅周辺の大学よりもレベルが高い、特色のある教育をしているなど、その大学でなければならない理由を探すことで、自宅周辺にないなら一人暮らしして、その大学に通うしかないかという状況を作り出します。

特色のある教育を探すのは難しいですが、たとえば地方の国公立大学などは、珍しい分野の研究をしていたりすることもあるので「〇〇について学びたいから、〇〇の研究で有名な〇〇大へ行きたい」みたいな説得でも良いと思います。

なかなか研究内容に深く触れるのが難しいかったので、近くの大学よりも規模が大きくブランドがあることも理由にしました。

(本当は、一人暮らししたいのが大きな理由なのですが、それには全く触れずに、自分の行きたい条件の大学は残念ながら自宅周辺にはないので、一人暮らしになってしまうが…みたいな感じで話しました)

このように理由を説明することで、家族からも「それなら自宅周辺のA大よりも、B大やC大に通ったほうがいいよね」という反応をもらうことができ、無事に一人暮らしすることが決まりました。

親は自宅から通学できる大学に絶対通ってほしいと思っているなど、この方法で難しい場合、親に詳しい理由を聞いてみたり、信頼している大人に説得してもらうのが良いかなと思いました。(それがなかなか難しいですが…。)

それ以外に考えられる方法

防衛大などの寮生活が必須の学校へ進学する

防衛大や防衛医大など、寮生活が必須の大学はいくつかあります。もし寮生活でも構わないということであれば、それもアリかなと思います。

バイトして自費で一人暮らし

不可能ではないと思いますが、大学生活にかなり影響をきたしそうな気がします。

 

と、色々と考えてみましたが、どれもある程度入試を突破できる能力を有しているかつ、親を説得できるかに依存するなと思いました。

もっと誰でも実践できそうな方法があれば、ぜひ教えてください。私もまた考えてみようと思います。

"性別違和について"("彼"と出会ったわたしの話)

正直、最初このテーマを書くのは難しいかもなぁとおもっていた。子供の頃から性別や性的指向について考える度に、どうしようも無い気持ちが(自分がその人本人じゃないにも関わらず)襲いかかってくるような感覚があったから。
でも、ふとした瞬間に「あ、書けることあったな??何なら私なりにめちゃくちゃ身近に感じてたな??」と思い返すことが出来たので、今回はわたしが好きなひとりである"彼"について、当時をふりかえりつつ、書いてみようとおもいます。久しぶりに彼の本を手に取りながらの世界線の自分も混ぜこぜに。

〇はじめに(たいせつなこと)

・わたしはシス女性だけど
IF(イマジナリーフレンド)が男性なので
どっちなんだ?って時がたまーにある者。
アセクシャルなんじゃないかと疑い中。
(こちらは勉強中です。世界広い。)

・彼は表舞台に立つ仕事をしている人であり、今は男性として人生を歩んでいる方です。当時彼が彼自身のことを告白し表現したフォトエッセイを出版した際の、わたしが感じた周りへの影響力の大きさや、彼の配信やインタビュー等で聞いたり読んだりした際の言葉から感じた彼自身の想いを汲んで、あえて今回ここでは彼の名前を出しません。彼と出会って素直に感じたこと等はそのまま話します。彼のパーソナルすぎるところはふんわりな表現or割愛します。もしや…?と感じたら、その方かもしれないし、その方じゃないかもしれない。ただ、彼は本当に人間として凄く魅力的な方なのは事実です。あの時彼と出会えて良かったなっておもってます。

①彼との出会い〜彼の悩みを知るまで

ヒーロー番組の所謂悪役と言われるキャラクターがきっかけだった。元々綺麗なメンズライク的な女性に惹かれる事が多かったのと、そのキャラクターの設定がAIロボットのようなものだったため、彼の性別がどうとかは全く気にならなかった。(何よりそこのキャラクターのチーム的なところにすごく惹かれてた。性別関係無く彼等は本当に良いチームだった)その後、彼を知っていく上で少しずつ彼の内面に惹かれて、よく配信を聴くようになった。そこで彼の想いを知るようになり、やがて、いつの配信かで声変わりしてることに気がついた。たしか、その頃は明確には発表していなかったような気がする。だからこそ、"この人が何を告白しても自分はこの人が好きだと思うし、例えこのまま何も言わなかったとしても、気楽でいられる場所にいて欲しい"とはおもっていた。彼の過去を検索しているうちに、彼が割り当てられた性別の中で"王子様"的なポジション。また、"ジェンダーレス"としてメディアから取り上げられていたことを知り始めた。ブログの記事を読んで、そうか……そうか…………となることも多かったけど、唯一安心出来たのは彼に心を許せる人が身近にいてくれることだけだった。

②フォトエッセイでの彼の告白〜現在まで
本を読んでおもったことなど

彼の誕生日に発売されたフォトエッセイで、彼は彼であるということを打ち明けてくれた。この本のおかげでわたしは改めて彼のことを知ることができた。写真集はすべて彼のセルフプロデュースで、6つのテーマに沿った世界観で撮られたもの。その写真集の中に過去に彼が実際に感じていた言葉がいくつも綴られている。写真のテーマは過去の彼とは切り離された別人のはずなのに、不思議と過去の彼の言葉と共鳴しているところがあって、ページをめくる度に心が痛んだ。観た作品の登場人物と自分が同じ状態だなんて気づきたくなかっただろうな。人から向けられる悪気の無い剣も、自分自身なのにゆらぎつづける気持ちの悪さも……これでもかというほど写真と一緒に焼き付いている。正直、最初は読むのが辛かった。 けど、それでもこの本を最後まで読むことが出来るのは、最後のテーマが「ひとがうまれるまえ」のような抽象的なもので締めくくられているからだとおもう。沢山の赤い紙飛行機が舞う中、黒いまくで覆われた彼のその姿の気高さといったらこの記事では書ききれないほどで……。その写真の中、彼が書いた最後の言葉を読んでわたしはとても安心できた。彼にというより、自分に対してだとおもう。絶望の淵にいるとき、いつでもこの本を手に取りたくなるような。そういう弱さや葛藤があった彼がしぼりだした言葉だからこそ伝わるものが、間違いなくそこにはあったなっておもいます。

③それから〜今もずっと思うこと

超至近距離で彼の芝居を生で観たり、自分のペースで彼の配信にコメントしたりする度に「この人本当に好きだなぁ」とおもう。出演作品が増えていくにつれ、彼を新しく知る人が増えていっても、その度に「あのね……」と自分の言葉で今の気持ちを"ありのままで"伝えてくれる彼。コメントのリスナーと彼でネガティブトークする夜。オタク語りしてる彼。オタクを全力で楽しんでる彼。彼の撮る家族たちの写真。別れ…………等いっぱいみてきた。(といっても未だに推しと言えないのは、自分が幅広く好きになるタイプのオタクだからかな?現場に通えない申し訳なさもありつつ……オタク難しいっすね) 

けど、ただひとつずっとおもうのは
彼!!あんな舞台こんな舞台やっててすごい!!オタク友達が増えてる、すごい!!ずっと幸せでいてくれよな!!!そして、世界中のあらゆる心に葛藤飼ってるみんな、ほんと幸せになれっっ!!わたしも!!幸せになるからな!!!!なろうな!!!

ということだけです。
願いをこめつつ。