「自分が自傷行為をする理由」というテーマについて私なりの考えを述べたいと思います。なお念のため、自傷行為を推奨するわけではありません。念のため。
おそらく、身体を傷つける行為は、通常ナイフ等で腕等を傷つける行為です。ある種、狭義の自傷行為といえます。私もやろうかなと思ったりしましたが、周囲への言い訳が怠いので結局やめました。
一方で、飲酒はしています。酒と一緒に薬を飲んだりもしています。今の薬はよくできているので、死ぬことはありません。ただし、体に対してダメージはいくようです。ある種、広義の自傷行為、ささやかな自傷行為です。
この程度で済んでいるのはなぜであろうか、と考えると、私は直接身体を傷つけることなくても、酒だけで生を実感できるからかもしれませんが、他方で何か打ち込めるものがあるというのがあるのかもしれません。要するに、「推し」ですね。「趣味」とも言えるかもしれません。私の場合、書を読み、考え、書くということを院でやっております。それが偶然に「推し」を推すかのようにハマっている。そのような気がします。
ただし、修士論文が書きあがり卒業できるのか、それとも肝臓が逝かれて死ぬのが先か。そんなチキンレースな気もします。結局、過去からの苦い経験の上で、色々ものを書いています(ここでのこのような活動も、その一環です)。
あいにく、直接的な自傷行為をしなくても、私の周りにいる「影」たちが、過去から続く先人たちが呼んでいるような気がしなくもないんですね。つまり、直接的な自傷行為をしなくても、酒を飲み、寿命を縮めるだけで、いつでも逝けるようにしている。そんな感じでしょうか。
私にとってのささやかな「自傷行為」、それは「世界」に対するささやかなレジスタンスであるかは、先人に対して色々と思い悩みます。しかし、生と死の狭間で揺れる、人生の協奏曲の一楽章であるような気がします。正と負の交差、このスパイラルの先に何があるのか。調和か破滅か。
自傷行為が人生の一楽章であるなら、その先にある楽章はきっと、前の楽章と調和したものであると、私は信じたく思います。