生きづLABO研究員 活動ブログ

NPO法人地域生活支援ネットワークサロンが運営しています

俺の生きたい気持ち。

人のつらさを知るのは意味あることだと思う、誰かの立場をほんの一部分だけでも想像できるようになることは意味あることだと思う。
でも最大のデメリットというかリスクがあって、
それは自分のつらさと比べてしまうことだと思う。

このかたはこんなに頑張ってるのに、俺は恵まれてるのに…。
そうやって自分の痛みを否定してしまうと、苦しすぎる。
俺的にはわがままと言われるかもしれないことは承知の上で、「他者のつらさを知る」は余裕あるかたに任せたい。

俺以外のつらさを知るだけでしんどくなる。
「俺はこんなに恵まれてるのに、なんでこんなに死にたいんだ、こんな俺死んだほうがいいって、つらい思いしてる誰かのために頑張らなきゃなのに、頑張ろうと思えない、俺はクズだ、死んだほうがいい…。」

自己否定して苦痛を味わったり、
つらさを知る苦痛そのものを味わうくらいなら、
どんな他者もどうでもいい、俺は俺のために生きる。
誰かに頼って生きる。
そう思う俺自身を肯定はできないが、俺自身を守るためクズになるしかない。
壊れないために壊れるしかないの。

でも、助けないと助けてもらえないなんて、
「助けなきゃダメ」「助けるために努力しなきゃダメ」なんて、そんなことはないのかなと、
生きづLABO所長室の質問回答「Q.他者を助けたいと思えないのに助けを受け取りたい自分が嫌になる
の、生きかたカエルさんの回答を見て感じた。

オンラインで繋がっている友達や仲間との交流を楽しみたいからとか、
好きなアプリを楽しみたいからとか、
少なくとも今は死にたくないからとか、
俺が生きている理由はこんな感じだ、
そして、
俺は、俺のために、俺の未来を諦めたくない。
「頑張れないなら死ね。」なんて直接言われた記憶はないが、
そんな風潮を感じてしまう。
だから、
「うるさい死んでたまるか、俺は生きてやる。」
と、福祉の仕組みに頼って生きるつもりだ。
これが俺の生きたい気持ち。

俺は、
少しでも苦痛なく、
少しでも楽しく、
少しでも穏やかに過ごしたいし、
少しでもマシな選択をしたい。
そして、俺以外も、苦しんでほしくない。