※本記事には希死念慮に関連する内容が含まれています。読む人にとっては負担等を感じる場合もありますので、各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします※
前編:切実に「働きたくない」私の話(1/2) - 生きづLABO研究員のブログ
まあそんなこんなで色々あって、
私は、結局働いて稼ぐことができず時が経ち、
しばらくは、
「嫌だ!嫌だ!嫌だ!」と叫んだり、
叫びながら暴れたりする発作のような感情爆発は続いた、
確かお母さんに「向き合え!」って怒鳴ったときもあったっけ、
お母さんは「向き合ってるじゃん」って返してきたように私は記憶している。
向き合ってもらえてるとは、私には思えなかったけど。
でもお母さんは頑張ってたのかな。
思い出すだけでつらくなる記憶だなぁ。
そして、しばらくして、
働きたいとは思えなかったけど、
まあまあ落ち着いてきて、
私は「福祉に賭ける」という気持ちを持てるようになった。
福祉に助けてもらえば、働きたいと思えなくても生き延びられると思ったからだ。
もちろん現実そんな甘くは無いのかもしれないけど、
唯一ギリギリひねり絞り出した希望は「福祉に賭ける」だった。
餓死とか絶対すごく苦痛だろうし絶対嫌だ。
私は死ぬなら苦痛無く死にたいよ。
死ぬのは怖い気持ちもあるけど。
色々あったけど私は今も、
苦痛無く死にたいとか、
苦痛無く消えて無くなりたいとか、
苦痛ごと無になりたいとか感じるほどの
苦痛と疲労と絶望を感じてる。
けれど、
「働いて稼ぐ」をしようとしないことで、
苦痛と絶望がマシになって、
少しでも穏やかな、
少しでもマシな気分でいられるんだ。
障害者手帳を貰えてよかった。
障害年金を受給できてよかった。
「働いて稼ぐ」をしようとしなくても、
生活保護や障害年金で、なんとか暮らしていけそうと思える部分があってよかった。
現実そんなに甘くないかもだけど。
でも本当は、
苦痛無く死ぬ選択肢が欲しいな。
まあ現実、私は安楽死できないんだけどね!
それに死ぬのは怖いし!
もう苦痛は嫌だし!
生きるも死ぬも、もう頑張りたくないし!
大嫌いな私を愛していたいし!
まあとにかく、
少しでも楽しく過ごしたいな。
まあ、
将来どうなるかは分からないけど、
私の持つ、
「困った時に助けを求める力」を
ちゃんと活用していきたいと私は思ってる。
それが私の強さだから。
もう頑張りたくないから。
もう、苦痛は嫌だから。
ここまで読んでくださりありがとうございます!